アーティストステートメントを制作しています。
作品のコンセプトをまとめていますが、ザックリと思っていることや
感じていることを、書き出してみました。
なぜ絵画や写真は四角の規格で制作するのか?
またなぜ四角に対して作家は違和感を抱くことなく制作しているのか?
謎めいています。絵画の歴史を紐解けばある程度わかると思いますが、
死海文書とかは巻物なのでまあ四角ですね。紙の作るうえで四角が
作りやすいって事なんでしょうか?やはり謎です。
自分の作品で箱の中に風景を写した写真は、
「写真は平面にしか写らないと思い込んでいる」人たちに対して
光の本来の姿を現したと思っています。
規格や既成に縛られて…縛られている自覚も無く四角のフレームに制作
している私たちにとって、光の表現力や事象は驚嘆します。(ほんと知らないだけで
当たり前のことなんですが…)
四角い世界に平行して考えてることが、網膜の倒立像が正立して認識している問題です。
光=像は必ず逆さ(倒立)します。なぜ人間(生物)は逆さの像を逆転して認識しているのか?
バークリの『視覚新論』でこの話題を取り上げていますが、明確な答えがいまだ出ていません。
当たり前すぎて、これも謎なのでしょうか?
また自分の作品制作で大きな意味を持っている、真実とはなにか?です。
見ているものがすべてではなく、物を見ること自体あいまいで確証できません。
でも、人は確証したがります。自分勝手な確証を真実と思い込んでいるだけに過ぎません。
人は、自分が本当だと思っていることを確かめるため、自分の都合のよい情報を集めるが、
反証となる情報は無意識のうちに無視をし、都合のよい情報を作りこんでしまい、
自分の中に揺るぎのない真実を作りこんでしまう。
光しか認識できない人間は、物を見たつもりだけれども、物に反射した
光(色)しか見ていない。物を見たつもりになっている。
こんな感じで考えています。
また最近素粒子が面白いです。
素粒子の世界では自分たちの世界では通用しないことがたくさんあり
矛盾だらけのことが起こるそうです。その矛盾を理解するために
自己言及のパラドックスというのがあります。
「自分は嘘つきである」この発言は真実なのか嘘なのか
自分は嘘をつくと真実を言ったところで、正直者(真実を述べたものが)が嘘を言う
嘘つきは真実を述べない。と結局自身の言葉が、真実、嘘どちらでも解釈でき
おかしなことになる。このような自己言及パラドックスが素粒子の世界で行われています。
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zobacz osobiście (金曜日, 17 11月 2017 21:29)
eranos
dobra wróżka (金曜日, 17 11月 2017 22:01)
tarłam